黄昏のメリーゴーランド

~脳裏でぐるぐる回転している思いを整理~

生きたいように生きる

最近、ブログとのかかわり方が非常に心地よい。

実は、今年に入って、私は、5つもブログを開設している。(全部、はてなさん)

1つ目は3か月近く書いていたにも関わらず、ある日突然、迷わずやめてしまった。自己満足の、息抜き目的で書いていたはずが、妙に読み手を意識するようになって、そうなると、自己満足目的が曖昧になって、息抜きというよりは、むしろ、サービスみたいな感覚になり(かといって、そのサービスで誰かを喜ばせているという実感も、事実もないわけだが)、疲労感を感じるようになったからだ。

2回目のブログは、100文字と決めて短文日記にしてみた。あれはあれで、短距離派で、持久力よりも瞬発力で生きる私には向いていた気もするが、いかにせん、物足りない。短いから、質より量で、なんだか勢いづいて1日4,5回更新できちゃう・・・。そうなると、思考を粗末にしている気がしてきて、結局2日でやめてしまった。

3回目のブログは、長文に戻って、あれこれ書き始めたのだが、ブログのタイトルからして、どこか、卑屈であった。読み返すと、なんか、曖昧模糊としているのに、メソメソ、クヨクヨだけはしっかり伝わるという、湿度の高い、かび臭い、始末の悪い文章であった。で、やめた。

結局、『ラグビー部の食卓』という、日々の夕飯メモ+αの簡単なブログ、及び、この雑記ブログ『黄昏のメリーゴーランド』を開設したら、何となく、バランスがいい。ブログが2つあると、それはそれで、ブログというものへの執着も愛着も2つに分散されるから、気楽なのかもしれない。

そして、この気楽さあってこそ、私はとことん自分自身に関心を持ち、自分自身の書きたいことを書けるように思う。

仮に自分の内面以外の事柄に触れるにしても(社会問題とか、世間の出来事とか)、ブログに記すのは、それに対する自分自身の考えだ。そうすると、結局はそれも、自分自身への関心ということになる。

社会問題に触れても、社会問題に触れる自分に、世間の出来事に触れても、世間の出来事に触れる自分に、人は結局関心を持っているのである。孤独の作業は、いずれもそうだと思う。1人趣味の世界に没頭する時、趣味それ自体に関心があるのは間違いないが、それが快適なのは、まずは自分自身に関心をもったからだ。自分自身に関心を持って、自分の愛する物事を見極め、それに自分を没頭させているという使役の姿勢が、趣味に没頭するということだ。

先だっての娘の入学式における、学年主任の先生の言葉が印象深い。

「・・・人間関係は第一優先すべきことではありません。人間関係は流動的だと思ってよいでしょう。人間関係を一番大事にしていても、つまり人を監視してばかりいても、幸せにはなれません・・・自分を見つめ、自分に関心を持ち、自分のしたいことを見つけてください・・・」(大体、こんな感じの内容)

同時に、校長先生(理事長先生?)の言葉の一部も思い出す。

「…人生は、椅子取りゲームではありません。自分自身の椅子を見つけてください・・・」

(無目的に難しい大学に入って、仕事内容ではなく、高い役職をゲットすることを目的に戦う人生は、つまらん!ということですね)

もっとも、この世で生活するにあたって、子供がいれば子供を満たすにあたって、家族や自分の健康を維持するにあたって、確かにお金は重要だと思う。そこは、なかなか、譲るのが難しいというか、金よりも大事なものがあるー!!夢、掴もうぜ!で突っ走ると、現実問題として、大変な目に遭いそうだ。

しかし!

世間体とか、地位とか、名誉とか、そういうのは、どうでもいいと思う。何にせよ、本人が満たされなければ、意味がない。満たされるのに大事なのは、やはり、自分自身を見つめることだ。人付き合いとか、人の観察(SNSなどによる)など、二の次だ。だって、みんな、自分以外の人間なんだから!

他人とは、寛容に、ある程度の常識を守って、適度な距離で、そこそこ楽しく付き合えれば十分だ。まずは自分在りき。自分に向き合い、自分のしたいこと、自分の喜びを大事にすればいいんじゃないか。

私は子供が大事だ。生んだ以上、これは譲れない。自分の命より大事だ。そして、最近始めた仕事(週5だが、毎日数時間ずつ)は、やりがいがあって楽しい。友達にだって、たまには会いたい。楽しいから。

しかーーーーし、

私にとっては、一人で、ブログとか、その他諸々趣味の書き物をしている時間が至福の時である。(読書タイム、映画/ドラマ鑑賞タイム、散歩も好き)

だったら、それでいいのだ。そういう好きなことを中心に生きていればいいのである。

そんな私って、馬鹿みたい😂

と卑屈に思ったこともあるが、最近思う。それは、要するに、

誰かに馬鹿みたいだと思われそうで嫌だな…

ということだ、と。

世間体を気にしていたのである。馬鹿げた話である。

結局、自分は自分だけ。世間なんて、ある意味、幻のようなものだ。自分自身に比べれば、世間なんて、あまりに不確かな存在ではないか!

だとしたら、好きにしたらいいのである。(いや、親ですしね、大人ですしね、社会問題とか、考えますよ!そりゃ真面目に。でもねえ・・・)

案外、簡単なことではないんだが、子供たちに言いたい、自分の幸せを見極めて、生きたいように生きろって。

 

入学式の日の桜🌸。
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