『ふてほど』を見て 38年前を思い出す

「ふてほど」が終わってしまった。久々にドラマにはまった。昭和(1986年 38年前)と、令和の違いを考えるきっかけになった。

38年前、私は小4~小5だった。4年時の担任教師は、新卒の若い女性だったが、昭和であった。

連帯責任です!とヒステリックに怒鳴って、クラス全員の頬を往復ビンタする教師。そういうもんだ、と受け容れる生徒達。

「下手に避けようとして顔を動かすと、逆に痛いよ」

とか

「やっぱり目を瞑っちゃうよね。何でだろうねえ」

とか、私は友達と呑気に話したものだ。理不尽?という疑問など微塵も抱かず、親に報告するという発想もなかった。

すごい時代である!

掃除時間中、無駄口が多いという事で、教師が、巨大なゴミ箱の中身を教室中にばらまいたこともある。クラス全員でかき集め、最後は一人一人全員、先生に謝罪と反省の言葉を述べた・・・。

この教師が例外だったわけではない。教師が苛立った勢いで、調理実習で作ったものを全部捨てたとか、教師がクラス中の机を廊下に蹴り出したとか、今なら、消防車何台分よ?という程のネット大炎上になりかねない社会問題が、実に日常的であった。

ブルマと体操着!あれもおかしい。寒くても上着を許されず、上着を着てよいのは風邪をひいて許可を得た人だけだった。真冬も、半袖の体操着&ブルマで、暖房のない教室で我慢をする。それが美徳であった。(我が実家は、中部地方につき、何とかなった)

ある極寒の日、どうしても着たい人は着てもいいです、と形ばかリ上着が許された。それならば、と、寒がりの私は、何気なく上着を羽織った。私の友達も同じだ。結果、私と私の友達は、教師に嫌味を言われ、着ないで痩せ我慢した子たちが模範生として褒められた。

とかく、我慢の先にこそ、良いことが待っているという風潮が強かったように思う。

とはいえ、楽しいこともあった。スマホがないから、友達に連絡するのは、巨大な家の電話。ある意味、この不便さが楽しかった。

小学校5年の時、〇ちゃん、△ちゃんと、3人で遊ぶ約束をし、待ち合わせ場所と時間を、まず、〇ちゃんと相談しようと、私が〇ちゃんに電話をかけた。その際、たまたま△ちゃんが私に電話をかけてきて、私が〇ちゃんにかけるタイーミングとぴたっと重なった。混線の結果、△ちゃんは、私と〇ちゃんの会話を、ガーガ―ピーピーという混線音とともに聞き取った。いざ、私が△ちゃんに、待ち合わせ場所と時間を連絡しようと、電話をかけると、△ちゃんは、すでに待ち合わせ場所も時間も知っていた。聞こえていたから!である。

この奇跡の電話事件に、子供たちは大興奮であった!何だか楽しくてケラケラ笑ってしまった・・・。

 夜な夜なグループライン電話で話している娘の笑い声を聞くたび、私は、あの奇跡の電話事件を思い出す。そして、ああ、ここは未来だな、と思う。巨大な黒電話の前で、三人で繋がるなんて~と大興奮していた自分。昭和の子である。

こんな話をすると、息子は冗談か本気か、「ママの時代は可哀想。テレビもないんだもんね・・・」

「ある、ある!テレビはある。昭和たって、後半だからね。昭和って長いのよ」

38年前ですら、昭和20年前後の生まれであった両親にとっては、未来だったのだろう。

38年後はどうなっているんだろうな。ワクワクよりもドキドキが優先なのは、年のせいだろうか。

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