黄昏のメリーゴーランド

~脳裏でぐるぐる回転している思いを整理~

眼科へ行き

本日は、朝から眼科へ。

私の眼科通院歴は長い。

近視の度が強いと、硝子体の剥離も早い段階で起こやすいらしい。硝子体剝離の際、網膜からうまく剥離できないと、硝子体が網膜を引っ張ってしまって穴が開き(網膜裂孔)、放っておくと網膜剥離になるわけだ。

近視の強い私は、21歳の時に、網膜裂孔になった。しかし、レーザー凝固で網膜剥離には至らず、結果、28年たった今も、そこ問題ない。

しかし、近視が度が強いと、眼球の形が縦長になり、視神経への圧迫も強くなる。圧迫された結果、視神経の入り口部分の陥没が深くなる。(大きくなる)

28歳の時、NYの眼鏡屋さんにて、

(your optic nerve is really big!)視神経の乳頭部が本当に大きい!

と、言われた。正確に言うと、視神経の入り口の陥凸が大きいということだ。眼鏡屋さん曰く、緑内障かもしれないから、眼科に行くように、とのことだった。

最初の眼科では、「生まれつきよ、問題ないわ」と女医さんに言われたが、別件で再診の際、その女医さんがおらず、また別の女医さんが、この眼科ではなく、緑内障専門病院に行くように、私に薦めた。

その数か月後、

ニューヨークのダウンタウンにある、緑内障の専門病院で検査して、視野欠損はないが、正常眼圧の緑内障であり、治療を開始すべき、ということになった。

あれから21年、

私は、定期的に眼科に通い、目薬も色々なものを使ってきた。また、目薬がどれも効かなくなって、東京にいた頃にレーザー治療もした。

その後、ロンドンでは、再び眼圧が下がらなくなって、眼圧の下げる為の器具(房水の流れを良くする排水溝のような器具)を入れる手術もした。

まずはアイステント。

これは、副作用がほとんどなく、安全な手術であったが、その分、効果は1か月でなくなった。

次にサイパス

これは、もう、私の人生において、忘れられない器具となった。

副作用で視力が落ち、(矯正視力で1.2(裸眼で0.08)くらいあったが、矯正視力が0.05(裸眼が0.003くらいまで)くらいまで落ちたのである。(両目の平均)

さらに、その後、サイパスの副作用で白内障になって両目を手術。(白内障の手術では、水晶体を取り除き、代わりに度入りのレンズを眼内に挿入したが、何せ、サイパスの手術で視力が落ちた上に、視力が安定していなかったので、結果、眼内レンズの度数は、当時使っていたコンタクトと同じ度数にしており、視力は白内障の術後も低いままだった)

さらに、加齢の白内障と違って、後発白内障にもなりやすく、案の上、後発白内障になり、両目をレーザー治療した。

そして、何ともショックだったのは、サイパスのリコールである。

サイパスは、副作用が強い上に、将来的に角膜の内側の細胞を減らし、最悪、角膜移植が必要になることが判明したため、〇〇社はリコールを発表した・・・

というような記事を見つけたのは、仕事でアメリカの薬品会社を調べていた夫である。夫は、記事を持ってきて、私に言った。

「この記事、今度、医者に見せたらいいよ」

私は慌てて担当医にメール連絡をした。

彼曰く、

「サイパスを奥深くに入れたから問題ない。角膜の細胞を傷つけるのは、サイパスが角膜にぶつかっている場合だ。私の手術では、角膜に当たらない位置まで埋め込んでいるから、問題はない。勿論、将来のことは誰にも分からないけれどね」

その後の診察でも、サイパスに関する不安を打ち明けるたび、大体こんな感じの返答が返ってきた。私はもう、あれこれ考えるのが億劫になって、彼を丸ごと信じることにした。(英語だから、余計、億劫になってしまったのだ)

ただ、このサイパスの効果も、結局、一年半くらいで切れてしまい、右目左目ともに目薬を再開することになった時は、ショックと言えばショックだった。散々の副作用に対し、効果は結局なくなったわけだから。

まあ、しかし、こういうことはあるものだ。自ら覚悟を決めて選択し、懸命に真摯にプロセスを生きたところで(取り組んだところで)、その結果がいつも思い通りとは限らない。ただ、懸命で真摯なプロセス(取り組み)は、悪い生き様ではないわけで、別に悔やむこともなかろう。

さて、昨年帰国して、しばらく、東京近郊に住むことになったのだが、幸いと、素晴らしい眼科に出会えた。

サイパスは、日本で認知される前にリコールになった為、日本では知られていないと思っていたが、そこの眼科のお医者さんは、良く知ってらして、副作用にも詳しく、それに合った検査をしてくれた。例えば、角膜の細胞を調べるなど。(私の角膜細胞は、これを切ったら危険という目安の半分くらいしかなかったが、しかし、それは目の手術を多く経験しているからであり、サイパスのせいではなかった)

サイパスの副作用で私の視力は下がった、と記したが、その後、少しばかり回復した。といっても、現在の視力(眼内レンズあり)は、左0.3と、右は0.05くらいである。

手術の副作用で、近視の悪化のみならず、遠視にもなってしまい、そこへ老眼も加わった為、眼鏡やコンタクトをすると、それはそれで視界がおかしい。(手元だけでなく、1メートル先も遠視で見えない感じになり、それでいて、1メートル先には近視のぼやけもあり、とにかく妙な視界なのだ)

結果、眼鏡もコンタクトもせず、0.3と0.05くらいで生活しているわけだ。

不便もある。しかし、片方が0.3あればなんとかなるのも事実だ。あまり、考えないようにしている。

とりあえず、正常眼圧の緑内障発覚から28年。視野欠損が見られないのは幸いである。視野欠損がない以上、まあ、正常眼圧の緑内障というより、正常眼圧の緑内障疑いとも言えるかもしれない。

疑いともいえる状態であるにも関わらず、これだけ眼科にマメに通院してきた私の心配性ぶりを、奇妙とする考え方もあるかもしれない。私自身もたまにそう思う。取り越し苦労で、色々やっちまった?みたいな・・・。

しかし、同じ緑内障疑いでも、点眼スタートを薦めらる場合と、そうでない場合があり、薦められなかった緑内障疑いの方を、私も何人か知っている。

しかし、私の場合は、どの眼科医も、「点眼なしで、しばらく様子見ましょう」とは言わなかったのだ。同じ緑内障疑いであっても、レベルはそれぞれというわけだ。そういう理屈で言うと、通院生活も、決して奇妙ではない。妥当である。

そもそも、

一度欠けた視野は、現在の医学では戻らない。そうなると、まあ、心配/慎重になるものだ。なった方がいい。

視力が下がるのと、視野が欠けるのとでは、全然、不便度が違うだろう。後者はより危険で、本当に本当に大変だと思う。

さて、次の診察は視野検査。何度やっても慣れないが、何度やっても慣れなかった眼球への麻酔注射よりはマシである。

いや待てよ。

視野検査の方が、自分の頭と視力を使う分、疲弊度は、麻酔注射👀より高い。

視野が悪くなっていたらどうしよう?

という、堂々巡りの不安がずっと付きまとう感じで、視野検査への恐怖は粘っこい。

ただ、麻酔の方は、その瞬間の恐怖度が、圧倒的に高い・・・。目に針が迫ってきて、チクッと痛むや、一気に視界の白くなる感覚の恐怖は、瞬間的であるから粘っこくはないが、いかにせん、衝撃的だ。

結論として、眼球麻酔の注射視野検査も、好きではない。

いずれにせよ、目にいい生活は、血糖値、コレステロール、血圧を上げない生活である。血管と、血液に優しい生活が、目にも優しいということだ。生活習慣病にかからないよう心掛けることが、目にもいい。

本日、ドキドキ、ドキドキ、緊張して仕様がない眼科検診を無事に終えて(眼圧も視神経の状態も安定していた)、今一度、食生活を、がっつり見直し、血液サラサラ生活を心がけようと思った。

と言いつつ、意外と(?)GI値の高い(食後の血糖値が上がり易い)蕎麦を食べてしまった。十割蕎麦も蕎麦なのである。炭水化物なのである。

まあ、しかし、炭水化物を否定過ぎたら、プロテインの吸収も悪くなるしいし、あまり気にしないようにしよう。美味しかったなら、それでよし。バランス大事。

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家でやさぐれ、外で親切

今朝の散歩中のことである。

折り返し地点の公園を出た所で、自転車を支えている女性がいた、やや目である。「あの、すみません」と私に尋ねる。私は、彼女の顔を見て、次の言葉を待った。

「コンビニってこの辺にありますか?」

声も半泣きである。

「どうかされました?」

「今、自転車で転んで、すごい怪我しちゃって・・・」

彼女が手の指と手の平、そして膝を見せてくれた。擦り傷ではあるのだが、出血が多くて、範囲が広く、まあ、痛そうなこと。骨折しているような感覚はないらしい。とりあえず、絆創膏をコンビニで買いたいわけだ。

「コンビニは、ここからだと一番近くても、駅まで戻らないとないんですよね。でもね、薬局があったはず。ここの突き当りの道の手前にね、病院があって、その迎えと、あと、その横にも薬局があったはず!」

「じゃあ、そこに行ってみます」

彼女は、怪我した手の平で自転車を支え、何とも不安げである。薬局自体は分かり易い場所にあるが、果たしてこの時間にやっているのか?私も、そして彼女も心配そうだった。それで勢い、私は「じゃあ、一緒に行きましょう」と。

「すみません」

「いいの、今日は時間あるしね」

そして薬局に向かって歩き始めた。小雨であるから、私は傘を彼女にも差し掛けて歩いた。

大学生だった。1年生だという。近くに国立大学がある。方向的にも、そこの学生さんだろう。

「これくらいの雨ならと思って自転車で来たんですけど、雨がどんどん強くなって、すごい勢いで滑ってしまって!なんか涙でちゃって。一限の授業、8時40分からなんですけど、間に合わないから友達に連絡しました」

「まあ、大丈夫でしょう」

「はい。一応、証明書を書けば・・・・」

転んだ証明書だろうか?それから彼女は続けた。

「というか、傷を見せれば先生にも証明できますかね」

「うん、出来る、出来る。こんな大変なことがあったんですよって」

なまじ、まだ1年生だから(しかもまだ4月だし!ピカピカの一年生)、一限の授業にも真面目に出るのであろう。あるいは、1年の午前中は、いつの時代も、どこの学校も、必須教科が多いのかもしれない。いずれにせよ、身体第一である。欠席も遅刻も、全く深刻ではない。

病院の迎えの薬局は閉まっていたが、病院の横の薬局はやっていた。自転車置き場に自転車を置くにいくのは手間であろうから、私はその自転車を預かって、薬局週辺に突っ立っていることに。お金を持っているかどうか聞くと、持っているとのことで、彼女は、1人でささっと絆創膏など買いに薬局に入った。

程なく、彼女が現れた。一通り、血をふいて絆創膏したようだ。一段落である。

「本当に、本当に、もう本当にありがとうございました」

「いえいえ、気を付けてね」

私は、彼女に自転車を渡し、軽く会釈して、きた道を戻った。

実際、大したことはしていないのだが、礼を言われると、自分がまともに思われて安堵する。真っ当な人間であることを証明するのに必要なポイントの少しをゲットしたような。

さて、

昨夜は、自信作の夕飯にひどくダメだしされたことで、ブツクサ文句を言った私。あげく、もう作らない!一切作らない!弁当もね!と脅し(結局作りましたよ、そりゃ)、続けて、主婦業のアホらしさを、様々な表現でアピール・・・。

それで、結局、

私は、自分の言葉にも、息子の言い返す言葉にも、夫の無言にもイライラし、休肝日であるにも関わらず、月曜に引き続き(月曜も休肝日の予定だった)、通常より多めにワインを飲んでしまった。

(ちなみに、娘は、こういう時、黙って静かに自分の好きなものだけを適当に食べて、ご馳走さま~と言って、さらっと軽やかに自室に移動。「ママの料理はおいしいよ💕」と明らかに嘘のラインを送ってきたりする。嘘でも、いや、分かり易い嘘ゆえ、癒されてしまう。まあ、彼女は典型的な第二子である・・・)

それにしても、

家の中では、イライラして、ピリピリして、ヤケ飲みして、やさぐれ母さん。外では、意外と、穏やかで、ほわわんと、親切な散歩おばちゃん・・・。

親切なおばちゃんをやれるだけ、まだまともだな、と、私は今朝、少しほっとした。

それを思うと、今朝、私に感謝してくれた大学生の彼女にもありがとうと言いたい。私を頼ってくれて、つまり、私に、(私が)感謝される理由を提供してくれて、ありがとう。

 

散歩の折り返し地点は公園だが、週末のジョギングの折り返し地点は、今日案内した薬局の横の病院である。

公園の花々(4月20日の朝 散歩中)と、病院前の花壇(4月20日の夜 ジョギング中)

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寛容ばあさん

朝、美容院へ。白髪の根本染め。

今まで美容師さん2人しか見たことがなかったが、もう1人増えていた。

元からいた2人の男女の美容師さんのうち、女性に担当してもらうことが多い。彼女は静かでありながら、お客さんが少なくて余裕がある時は、小話を用意してくれていて、それが楽しい。私も小話が好きなので、彼女の話を受けて、自分も小話を提供する。

今日も彼女に担当して貰ったが、もう一人、新しく入った女性美容師さんの存在感が強すぎて、何となく、小話気分にはなれず、担当の彼女も、私も、終始黙っていた。

新しく入った方は、推定年齢、アラカンである。いつもの美容師さんは、恐らく、私同様、アラフィフである。アラカンとアラフィフという年齢差もあると思うのだが、担当の美容師さん(以下、アラフィフさん)は、どことなく、新しい方(以下、アラカンさん)に遠慮気味である。しかし、アラフィフさんは、立場上は先輩だ。

ラカンさんの存在感の強さを一言でいうと、言葉遣いだけは、かろうじて丁寧なのだが、アラフィフさんに話しかける時の声がやけに大きく、なおかつ、美容師さん同士でそっと話せばいいような事を、店中に響く声で話すのだ。例えばアラカンさんはアラフィフさんに言う。

「この機械さあ、古いですよね。私、嫌なの。絶対に嫌です。これ、変えてもらいましょ・・・」

何の機械かさっぱり分からないが、会話の続きや、アラフィフさんの返事から、機械の正体がなんであれ、ともかく、アラフィフさんとしては、別に古くても何とかなっているし、自分は特に不便だと思っておらず、むしろ、新しくする為の申請が手間である・・・という、まあ、そんな状況が掴めた。

しかし、

ラカンさんは、アラフィフさんのそんな思いを全く汲み取らず、機械を新しくする気満々で、その手続きも、恐らく話を聞いている限り、アラフィフさんがせざるを得ない感じだ。アラカンさんが、何気な〜く、されどガッツリ、アラフィフさんに一仕事押し付けているわけだ。

その後、またお客さんが来て、アラカンさんが、なんやかんや対応していたが、その時の声も大きいので、全部聞こえてくる・・・

「・・・それそれ、それがすごく重要なんです!ダメです、そんな適当な感じではね・・・薬剤の色味ってね・・・」

親切といえば、親切だが、お客さんの反応からすると、恐らく、余計な情報である。お客さんは、こだわりの少ないタイプだ。

黙って静かに、前回と同じ色に染めてくれ。説明は要らぬ。白髪が染まりゃあ、それでいい。早く終わりゃあ、それでいい。

そんな心の声が、私の背中にさえ聞こえる・・・。

なぜ察しない?

ラカンさんは、その後も、延々と話して、膝にタオルをかける、かけないの気遣いもするのだが、そういう自身の気遣い1つにも、

ここは意外と座っていると冷えるんです!だからね、寒くないと思ってもね、絶対に後で冷えたりしてね、だからですね・・・・」

とか何とか、長めの註釈が入る。時に、そういう註釈をサービスとし求める方も、探せば居るやもしれぬ・・・。しかし!!今日その時のお客さんは、求めていなかった。だって、お客さんの返事なんて、もう、低いトーンで「あ、え、はい」が、かろうじて一回聞こえただけだもの!

ラカンさんは、恐らくだが、あまり、いい人ではないだろう。です/ます口調だけど、ぞんざいで、つまり、丁寧語でありながら、丁寧じゃないのだ。相手の扱いが。

彼女は、自分の意見を通したい、絶対に自分の意見が正しいと思って、気が強いというのとは、また微妙に違うのだが、自分を絶対に譲れない人なのである。負かす気はないし、マウントにもあまり興味なく、ただ、もう、DNAレベルで、すさまじく頑固なのだ。(あくまで、私の憶測だが)でもって、こういうタイプって、親である場合、子供とも、えらく揉めていそうだ・・・。はい、余計なお世話ですが。

さて、

午後、出かけたついでに、娘に頼まれた、某メーカーのニキビ予防のジェルを買うことにした。私が行く店舗は、若い店員さんが、明るくも、さっぱりしていて、心地よい。愛想はすこぶる良好で、その割に、私が買い求める以上のものは薦めず、けれど、サンプルは下さる。

また、丁寧な説明を必要とする方(お年寄りとか)には、まめに接客している。要するに、入りやすい、感じの良い店だ。

ところが、である。本日は、新しい店員さんがいた。私くらいの年齢か、もう少し上か、落ち着いた感じの方であった。何せ落ちついているし、普通に愛想もいいし、私は、特に多くを考えず、娘の使っていたジェルを見つけて手に取って、彼女に、「では、これでお願いします」と言った。そこからである。彼女の暴走が始まった。

彼女 新商品を今からお試ししませんか?

私 あ、急いでいるので・・・すみません

彼女 新商品、お顔ではなく、手だけで体験することもできますが、いかがですか?

私 大丈夫です

彼女 お急ぎですものね。でも、こちら、本当におススメなんです。肌にしっかり浸透する感じが、もう、本当にびっくりするくらい実感できて、翌朝はですね・・・・・(結構長く続く)どうでしょうか?

私 すみません、大丈夫です

そして、何とか支払いタイム。

彼女 ××カードはお持ちですか?

私 いいえ

彼女 今、ここで入会されますと、2000円分のクーポンがですね・・・

私 すみません、大丈夫です

彼女は、にこやかに笑いながら、サンプルを入れてくれた。何かと断っている手前、私が恐縮しながら礼を言うと・・・

今度は、そのサンプルに関する長い説明が!!😨

間違いなく、悪い人ではないと思う。先ほどのアラカンさんに比べたら、頑固ではなく、多分、普通に謝ったり、恐縮したりすることも出来る人だと思う。ただ、客のニーズに答えるにあたって、何かが悪いんだろうな。何かが足りないのだ。何だろう?相手の性格や意図を、会話から直感的に推測する力あたりだろうか。

つまり、私を見て、今までの店員さんなら、せっかちで早く帰りたい人、と察し、その特質を、ある意味、尊重してくれたのだ。が、今日の方は、察しない上に、自分の欲求を尊重したわけだ。(繰り返すが、そうは言っても、この方は、悪い人ではない)

サービス業に限らず、仕事に限らず、とにかく、自分の欲求を満たす為だけに言葉を発するのは、つくづく良くないなあと、今日改めて思った。そういうのは、日記とか、それこそブログとか、SNSに記せばいい。(人のSNSのコメント欄は除く)

メールでも、ラインでも、対面の会話でも、特定の誰かに向かって言葉を発する場合は、ある程度、頭を使うことが礼儀だと思う。欲求そのまんま、むき出しの私の言動を受け止めて・・・・って、赤ちゃんじゃないんだから!

しかし、家族だと、結構、この頭を使うことを怠りがちだ。甘えですな。遠慮がない分、ついついね。

私は実感としてあるのだが、たとえ親子でも、頭を使って会話した方が、楽しい。断然、和む。

頭を使うことは、要するに気遣いだ。気遣いは、相手を認め、自分を譲るという、寛容な精神が基盤にある。

となると、本日の結論としては、私は寛容でありたい、と、まあ、これに尽きる。

前にも書いた気がするが、時に、人に対して、負の感情に襲われた際は、まず、自分ラブになり過ぎていないか検討したい。(どう考えても、全然自分ラブになっていないぞ、という場合は、婉曲的に訴える?・・いや、逃げるのがいいだろう)

意地悪ばあさんとか、頑固ばあさんとか、吝嗇ばあさんとか、自己中ばあさんとか、冷酷ばあさんとか、どれもこれも困ったものだ。そんなんで生涯を終えるのは避けたい。寛容ばあさん目指して、日々、穏やかにいこう。絶対、それが心身の健康にもいいはずだから。

青島幸男さんの、意地悪ばあさんは、好きだったなー。

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社会進出バンザイ

私は、長いこと、専業主婦であった。昨年の5月からバイト主婦にバージョンアップ(?)

といっても、週5で働き始めたのはつい最近で、しかも、1日の労働時間たるや、平均して数時間。フルで働いているのとはだいぶ違う。

大学卒業後、私は翻訳会社に3年近く勤め、それから派遣会社に登録して、派遣先の石油会社にて、半年ほど働いた。

当時付き合っていた夫は、私が翻訳会社にいた頃にロンドン転勤になり、私達はいわゆる遠距離恋愛になったが、半年後に一時帰国した際、籍を入れた。数か月後、私は石油会社を辞めて、夫の待つロンドンへ。新婚生活のスタートである。26歳だった。

その後、横流れ転勤でニューヨークへいき、3年ほど過ごして帰国した。29歳。

夫の海外転勤について行くとなると、妻は働かないのが一般的で、私もそうだった。海外で仕事を探すのは大変そうだし、そもそも、当時はなぜか、働けないビザだったし、日常会話に不便はなかったが、ニューヨークにて、仕事で英語を使う勇気はなかった。

私は、第二外国語で英語を話す友達、あるいは、同じような日本人の主婦友達を見つけて付き合い、あるいは、英語の学校、習い事、スポーツクラブに通い、カフェで読書したり、家で書き物をしたり、ニューヨーク生活を満喫した。

夫との関係も良好だった。お互いまだ若く、新婚旅行気分が抜けないまま、週末の散策、旅行、そして何と言っても、会話を楽しみ(今現在は、必要最低限の言葉…)、そして、犬(チワワ)を飼って、彼女🐾とともに、いっそう呑気で朗らかな日々を送っていた。

この頃、自分が専業主婦であることに、特に引け目はなかった。数年前まで働いていた為、働くことくらい、別にいつでも出来る、自分だって働こうと思えば働ける、と思えたのだろう。また、夫との関係が、今と違って、良好だったことも大きい。私の存在は、今と変わらず、稼ぎ無しの、家事が雑な在宅女だったが、あの当時は、まだ恋人関係の余韻が残っていたから、

そのままの君でいい。居てくれるだけでOK

みたいな感覚が夫にあり(私のめでたい自惚れかもしれないが)、私にも、それが何となく伝わって、だから私も、

まあ、私は、これでいいんだな。専業主婦、これはこれで素敵な存り方だ、

と思えた。

が、しかし、年月は流れる。

帰国後、まだ29歳半くらいだったので、子供はまだいいよね?と夫婦で話しており、それならば!仕事でも探す?という考えがよぎるも、愛犬!!あえて今、愛犬を留守番させてまで、働くこともなかろう・・・と考えた。飼う前から働いていたならいいが。

愛犬を溺愛しつつ、相変わらずの無職のまま、2年ほど経過。私は、32歳で長男を出産した。その時も、2年前と発想は同じだ。何も、あえて、このタイミングで仕事を探さなくてもよかろう・・・。

さらに4年後、長女誕生。もはや、働くとか再就職とか、そういう発想は消えていた・・・。新卒で数年働いた過去は、この辺りでは、すでに遠い遠い、いにしへと化していた。

2児の母になってからは、もう、育児と家事一筋で突っ走っていたように思う。色々なママ友と出会っては、疎遠になり、あるいは、そのまま、普通の友人として親しくなり、親交を深めたりもした。子供の揉め事も、それなりに経験した。夜も眠れなくなるほど悩むこともあった。(語弊があるかもしれないが、専業主婦って、否応なしに、子供ととことん向き合う機会が多い上に、時間があるから、良くも悪くも、子供達のもめ事にもすぐに気付き、そして、良くも悪くも、悶々と悩むことが多い気がする・・・。《働いていたら、働いている人にしか分からない、育児の苦労が、恐らく、もっとずっとたくさんあることは承知です!》)

息子が小4、娘が年長の時に、夫が再びロンドン転勤になって渡英。

この時点では、働かないのは当たり前になっていた上に、イギリスの場合、11歳までは、子供を1人で外出させてはいけない規則があったので、学校や幼稚園は勿論、習い事も一通り私が同伴する必要があり、そうなると、働く発想の有無以前に、

働く?そんな、働けと言われても、無理でしょう・・・

である。イギリスの働く女性には、基本、シッターさんがいる。逆にいえば、シッターさんなして働くのは、無理難題もいいとこだ。

周りの日本人を見ても、夫の転勤にくっついてきている奥さんで働いている人は、見たことがなかった。夫が現地採用の日本人の場合、あるいは、国際結婚で、夫がイギリス人もしくはEU圏の方である場合(つまり、転勤ではなく、永住組の場合)、働いている奥さんも結構いたが、シッターさんなしで、学校の終わる時間までのパートタイムジョブが多かったように思う。いわゆる、駐在員の奥さんは、少なくとも、イギリス在住中、無職である。

ロンドン生活後半から、子供たちはぐんと成長し(年齢もあがって、英語も完全に私を超えた)、少なくとも送迎や、学校関係のあれこれに、以前ほど、手がかからなくなってきた。そうすると、贅沢には贅沢な思考だが、私は急に、専業主婦のアホ臭さに、どっぷり浸るようになった。

当時から散歩が好きで公園を歩いていたのだが、そうすると、日本人以外の人に声をかけられる事も多い。男女問わず、60代以上が多かったが、彼らは当たり前のように、あなた、仕事は何をしているの?と尋ねてきて、私が無職だというと、何でまたそんなことに?!?!という空気が流れ…私は、そのたびに、しどろもどろ誤魔化す羽目になり、そんな自分に嫌気がさした。転勤のせいにしまくる、育児のせいにしまくる、そして、もはや消えかかっている過去である、20代前半の職を、さも、つい最近までやっていたような口調で話す(嘘はつかないが)…。

私、26歳から今日まで一銭も稼いでいないんです。ずっと他人の稼いだ金で生きてきました。まあ、ここまで来ますとねえ、路線変更は難儀でありますから、あとはもう、とりあえずテキトーに家事して、病院はしごの日々に突入して、ある日コテっと少なめの痛みで死ねればいいと思っています。アハハハハ・・・

なんて堂々といえるほど、居直っていなかった。

昨年の3月に帰国し、4月の後半、今の家の近場で、「育児経験のある方歓迎」という募集を見つけた。塾のような予備校のような学校(詳細は省略)の、勉強のサポート業務(講師ともいう)である。資格は、とりあえず、大学受験を経験していればいいらしい。大学時代、長いこと、塾講バイトを2年ほどやっていたので、まあ、これならいけるんじゃないか?なんといっても、家から5分というのが魅力的だし!と、私は応募した。その後、国語、英語、数学のテストを受けて、明らかに数学は大変なことになっていたと思うが、国、英はクリアーしたのだろう(どのくらい重要なテストなのか謎)。とりあえず、昨年のGW明けから働き始めた。

・・・・で、現在に至る。

働き始めて、専業主婦コンプレックスが消えたかどうか?それは実際のところよく分からないのであるが、でも、この数時間の仕事の為に、場合によっては結構予習をしなければいけないので、数時間業務とはいえ、実質、仕事に関わっている時間はもっと長い。そうなると、そもそも、自分の現状を見つめる時間が減り、結果的に、卑屈でネガティブな思考のループにはまりこむことも減る・・・。健康に関して、特に眼科系は色々あり、神経質に考える機会が多いが(この件、おいおいブログにまとめる予定)仕事を始めてから、それも随分減った。

ある意味、忙しさで、ネガティブ思考や心配に取り憑かれる隙が減ったのである。また、中高生との何気ない会話によって芽生える親近感、愛情、ポジティブな意気込み(プレッシャーとは別の積極的な責任感)により、脳が、心が、リフレッシュされるのも事実だ。真面目な勤務姿勢に(自分で言うのも何だが)、自信を得たりもする。

それならば!

バイトとはいえ、社会復帰、いや、復帰というには、以前、社会にいた記憶が曖昧だから、社会進出?が適切だろうか。ともかく、この社会進出を喜んでいいだろう。万歳🙌

 

あ、ここで、

料理バンザイを思い出す・・・

たまに行くならこんな店コーナーが特に好きだった。山口いずみさん、水戸黄門にも出てらして・・・。懐かしい。

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49回目の

今日は、

レオナルド ダ ヴィンチの誕生日。

エマ ワトソンの誕生日。

同じエマで、

エマ トンプソンの誕生日。

田原総一朗さんの誕生日。

金日成の誕生日。

そして、

私の誕生日。

最後の40代!!

バイト先で月曜に私が担当している若い女の子に、

「今日はこれから、どこか行くの?」

と尋ねたら、

「今日、誕生日なので、家族と待ち合わせています・・・」

私は思わず大興奮して、「今日?今日、誕生日?私もなの!!嬉しい!」

まあ、彼女もびっくりして喜んでくれたが、彼女は若いから・・。

✨まさかの誕生日一緒!✨に、興奮して、びっくりして、感激して、キャハハと喜んじゃう自分・・・49歳。幼稚?

幼稚さは、若さともいえるわけで、まだまだいけそうだと思うしかない。何がいけそうかって?心身元気にやっていけそうだということである。

右顎や歯茎の神経痛、足底筋膜炎らしき痛み、眼科問題、血液ドロドロ問題、肝臓とか腎臓とか・・・皮膚や髪の老化とか・・・

気になることは色々あるが、自分の誕生日を特別な日と認識している呑気さは健在なわけで、それだけでも何とかなる気がする。

昨日、1日早い誕生日プレゼントを夫がくれた。

炭酸水メーカー

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私、水でいいだろ、水でと自分に突っ込みを入れつつ、休肝日などは特に炭酸水を飲む。そうすると、ペットボトルを捨てる手間(周りのビニルを剥いで、蓋を別にして・・)が増える。全部自分でやるからいいんだが、夫曰く、「これで(市販の炭酸水を)買わずに済むだろう」と。

昨日、2回使ったが、微炭酸、普通の炭酸、強炭酸が作れるが、微炭酸でも十分なしゅわしゅわ感で、それが長持ちする。市販の様々なシロップを使うことで、レモン風味(無糖の)とか、甘いソーダ、コーラも出来るらしい。

日ごろ、

妻の世間話を、さらっと無視しまくる夫に、

あるいは、

細かいことに気付きすぎて、いちいちうるさい夫に、

いらっとくることが結構多く、そのたびに、老後は別居がいいな、とか…まあ、衝動的に結構すごいこと(❕)も、色々考えるわけだが、単純な私は、

誕生日を覚えていた、

なんかくれた、

ということで、情熱とか、ドキドキとか、そんなものは、もう置いておいて、とりあえず、この人とうまくやっていくことがbetterだ、この人と一緒にいる方が結局は安泰だと思って、それが自然と、感謝の気持ちになる。

ありがとう。しゅわしゅわ喉をうるおして茶を濁し、休肝日を徹底し、健康になろうと思う。

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生きたいように生きる

最近、ブログとのかかわり方が非常に心地よい。

実は、今年に入って、私は、5つもブログを開設している。(全部、はてなさん)

1つ目は3か月近く書いていたにも関わらず、ある日突然、迷わずやめてしまった。自己満足の、息抜き目的で書いていたはずが、妙に読み手を意識するようになって、そうなると、自己満足目的が曖昧になって、息抜きというよりは、むしろ、サービスみたいな感覚になり(かといって、そのサービスで誰かを喜ばせているという実感も、事実もないわけだが)、疲労感を感じるようになったからだ。

2回目のブログは、100文字と決めて短文日記にしてみた。あれはあれで、短距離派で、持久力よりも瞬発力で生きる私には向いていた気もするが、いかにせん、物足りない。短いから、質より量で、なんだか勢いづいて1日4,5回更新できちゃう・・・。そうなると、思考を粗末にしている気がしてきて、結局2日でやめてしまった。

3回目のブログは、長文に戻って、あれこれ書き始めたのだが、ブログのタイトルからして、どこか、卑屈であった。読み返すと、なんか、曖昧模糊としているのに、メソメソ、クヨクヨだけはしっかり伝わるという、湿度の高い、かび臭い、始末の悪い文章であった。で、やめた。

結局、『ラグビー部の食卓』という、日々の夕飯メモ+αの簡単なブログ、及び、この雑記ブログ『黄昏のメリーゴーランド』を開設したら、何となく、バランスがいい。ブログが2つあると、それはそれで、ブログというものへの執着も愛着も2つに分散されるから、気楽なのかもしれない。

そして、この気楽さあってこそ、私はとことん自分自身に関心を持ち、自分自身の書きたいことを書けるように思う。

仮に自分の内面以外の事柄に触れるにしても(社会問題とか、世間の出来事とか)、ブログに記すのは、それに対する自分自身の考えだ。そうすると、結局はそれも、自分自身への関心ということになる。

社会問題に触れても、社会問題に触れる自分に、世間の出来事に触れても、世間の出来事に触れる自分に、人は結局関心を持っているのである。孤独の作業は、いずれもそうだと思う。1人趣味の世界に没頭する時、趣味それ自体に関心があるのは間違いないが、それが快適なのは、まずは自分自身に関心をもったからだ。自分自身に関心を持って、自分の愛する物事を見極め、それに自分を没頭させているという使役の姿勢が、趣味に没頭するということだ。

先だっての娘の入学式における、学年主任の先生の言葉が印象深い。

「・・・人間関係は第一優先すべきことではありません。人間関係は流動的だと思ってよいでしょう。人間関係を一番大事にしていても、つまり人を監視してばかりいても、幸せにはなれません・・・自分を見つめ、自分に関心を持ち、自分のしたいことを見つけてください・・・」(大体、こんな感じの内容)

同時に、校長先生(理事長先生?)の言葉の一部も思い出す。

「…人生は、椅子取りゲームではありません。自分自身の椅子を見つけてください・・・」

(無目的に難しい大学に入って、仕事内容ではなく、高い役職をゲットすることを目的に戦う人生は、つまらん!ということですね)

もっとも、この世で生活するにあたって、子供がいれば子供を満たすにあたって、家族や自分の健康を維持するにあたって、確かにお金は重要だと思う。そこは、なかなか、譲るのが難しいというか、金よりも大事なものがあるー!!夢、掴もうぜ!で突っ走ると、現実問題として、大変な目に遭いそうだ。

しかし!

世間体とか、地位とか、名誉とか、そういうのは、どうでもいいと思う。何にせよ、本人が満たされなければ、意味がない。満たされるのに大事なのは、やはり、自分自身を見つめることだ。人付き合いとか、人の観察(SNSなどによる)など、二の次だ。だって、みんな、自分以外の人間なんだから!

他人とは、寛容に、ある程度の常識を守って、適度な距離で、そこそこ楽しく付き合えれば十分だ。まずは自分在りき。自分に向き合い、自分のしたいこと、自分の喜びを大事にすればいいんじゃないか。

私は子供が大事だ。生んだ以上、これは譲れない。自分の命より大事だ。そして、最近始めた仕事(週5だが、毎日数時間ずつ)は、やりがいがあって楽しい。友達にだって、たまには会いたい。楽しいから。

しかーーーーし、

私にとっては、一人で、ブログとか、その他諸々趣味の書き物をしている時間が至福の時である。(読書タイム、映画/ドラマ鑑賞タイム、散歩も好き)

だったら、それでいいのだ。そういう好きなことを中心に生きていればいいのである。

そんな私って、馬鹿みたい😂

と卑屈に思ったこともあるが、最近思う。それは、要するに、

誰かに馬鹿みたいだと思われそうで嫌だな…

ということだ、と。

世間体を気にしていたのである。馬鹿げた話である。

結局、自分は自分だけ。世間なんて、ある意味、幻のようなものだ。自分自身に比べれば、世間なんて、あまりに不確かな存在ではないか!

だとしたら、好きにしたらいいのである。(いや、親ですしね、大人ですしね、社会問題とか、考えますよ!そりゃ真面目に。でもねえ・・・)

案外、簡単なことではないんだが、子供たちに言いたい、自分の幸せを見極めて、生きたいように生きろって。

 

入学式の日の桜🌸。
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バニラアイス

ここ最近、子供のオヤツにバニラアイスをよく買う。何となく、私がバニラ気分だから。

血糖値とか気にしながらも、結局自分の分も買ってしまう。日本はバニラアイスの種類も多く、美味しいから。

昨年の3月まで5年半ほどイギリスにいたので、つくづく思う。イギリスにも、ハーゲンダッツをはじめ、美味しいバニラアイスがあるにはあるが、手軽な値段で手に入るバニラアイスは、なんか、違う。甘ったるいのに、こくがなく、やけに固い気がする・・。私が知る限り…。

日本の場合、手軽な値段で買えるバニラアイスのレベルが高いのである。

私のバニラアイス好きは、思えば、小学校低学年からだ。もともと、シャーベットよりもバニラベースのアイスが好きだったが、バニラアイスそのものを好きになったのは、小学校2年だか、1年の、ある夏の午後である。

夏休みだったと思う。その頃、弟と2人、父に頻繁にプールに連れて行ってもらった。ある帰り道、サーティーワン(BR)に立ち寄り、アイスクリームを買ってもらうことに。サーティワンに母とはよく来たが父と入るのは初めてであった。

弟は、5歳か、6歳だったが、「トリプルがいい!」と言い出した。母なら、「多過ぎよ!食べられなくなるから駄目よ!」というが、父は、「そうかそうか、じゃあ3つ選べよ」と。私は、え?いいのかな?と心配に。弟は、シャーベット好きであるから、ここぞとばかりに、オレンジ、レモン、メロン…(?)うろ覚えだが、3つ、どんどん注文した。カラフルなこと!父は、日ごろ甘いものは食べなかったが、食べるとなれば、食べる。ダブルで何やら注文していた。ここまで、あまりに、あっという間であった、

「〇〇(私)は何にする?」

と父に問われ、私は、どういうわけか動揺してしまった。急いで決めなければ!と思うのに、決められない。いつもは、確か、ロッキーロードか、チョコチップ、キャラメルリボンあたりを、母の助言とともに適当に注文していた。母の助言なく、急に、何にする?と選択を迫られたこと、弟のトリプルにびっくりしたこと、父と弟の注文の速さに圧倒されたこととで、言葉が出てこなくなった。そもそも、アイスが欲しいのかもよく分からない・・・。しかし、せっかくだから欲しい。でも、何が欲しいんだろう・・・よく分からない。

せっかちの父が「なんだ、決められないのか。はい、じゃあ、シンプルにこれだ、バニラだ。バニラ一つ下さい」

え?サーティーワンで、あえて、一番シンプルで、一番減っていないバニラ?

自分では決められなかったのに、勝手にバニラにされたらされたで、不満であった。しかし、優柔不断で黙りこんでいた自分が悪いのは百も承知だから、駄々をこねる気は毛頭なく、「うん」とバニラでOKした。

そして、心の中では、早く選ばないばっかりに、こんなつまらないアイスになってしまった、と悔やんだのだが、一口食べて変わった!

バニラって、こんな美味しいんだ!チョコとか、キャラメルとか、マシュマロとかナッツとか、そういうのが入っていないバニラって、シンプルだけどコクがあって、最高じゃないか!

以来、しばらく私は、サーティーワンではバニラを頼むようになった。

が、飽きっぽいので、時には浮気もし(主にロッキーロードに)、高学年になると、浮気の品を本命に変えてしまった。当時の本命はチョコミント…。

(ちなみに、弟はトリプルを頼んだあの日、結局食べきれず、大半を父が食べた)

余談だが、この頃、仲良しの友達数人で交換日記をしていたのだが、その交換日記の題名が「サーティーワン31」であった。アイスにちなんだというより、全員の名前の文字数を合わせると、31だったからだ。6+5+6+7+7=31

ところが、早々に1人(7文字の名前の子が)脱退してしまったので、正確にいうと、長いこと「トウェンティーフォー24」だったのだが、アイスのサーティーワンのイメージが甘くてよかった為、、日記帳のタイトルは、最後まで「サーティーワン31」だった。

ともかく、今日も私は血糖値を気にしながら、バニラアイスを食べた。はてなブログではなく、「サーティーワン31」に色々書いていた頃の、無邪気でサラサラの血が懐かしい・・・。

 

本日のバニラ

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こちらは子供用に。私は昨日これを…。

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